デッドプール(ティム・ミラー/アメリカ/2016) !いっぱいのラブ

20160701としまえんにて鑑賞。公式サイトはこちら。

www.foxmovies-jp.com

大変評判がよかったのですが出遅れて鑑賞。結論から言うと、楽しかったけど期待していたレベルには物足りなかったです。この手の映画で物足りないということがなくなるので、そんなに悪い映画じゃないんですけど物足りなかったことについて書くことになります。ごめんね。ちゃんとまとまってたし、デップ~かわいかったし、ライアン・レイノルズは楽しそうだったし、楽しくて面白かったんだけどね。

デットプールみたいなキャラクタを真ん中に置くなら、いかに暴力とセックスとクレイジーの先にあるラブを描くかってことになると思うんですけど、一番大事なそのラブの置き方に主に物足りなさを感じたのでした。

ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)はすごくかわいいし、ラブリーだったんですけど、彼女がクレイジーだったというとデップーとの愛を成就するにはお行儀が良すぎたかなあという感じ…。制作の経緯なども踏まえてあえて置きに行ったのだろうなという全体のテイストだったけれども、暴力もセックスもクレイジーもそのままでいいからヴァネッサのキャラクタ(つまりラブ)だけはもうちょっと練りこめたんじゃないかなあと思います。それならレイティング上げなくても大丈夫じゃん?う~~~ん…惜しい。

なんか、もうちょっとコートニー・ラブみたいなのを期待してたんだよね。それは私の勝手な願望ですが。方向性は違ってもいいから、世界中をぶっ壊して腕組んで歩く二人が見たかったのでした。

 

総じて無難にまとめたなという感じですが楽しい映画でした。あと宣伝がとても上手だったね。映画もアメコミもそんなに興味のない層にむけてハードですよ!と大々的に宣伝したうえでみてもらうには、このくらいの柔らかさが舌触りがいいし、一番パイが大きいのかもしれないね。

 

エクス・マキナ(アレックス・ガーランド/2015/イギリス) 内側から降り立つデウス・エクス・マキナ

 20160622 池袋HUMAXシネマズにて。公式サイトはこちら。

www.exmachina-movie.jp

日本公開あってよかったですね~嬉しいですね~。わたしはドーナル・グリーソンとても好きなので大変楽しみにしていた一本でした。

 

タイトルの通り、最後に機械仕掛けの神が表れてすべての展開をひっくり返すというある意味では素直な映画でした。

アレックス・ガーランド監督作品は「28日後」を見たことがあります。ゾンビが足速いやつだよね。わたしはさほどゾンビ映画に思い入れがないのでゾンビが足速いことについてはめっちゃ怖いやん…くらいのライトな感想で、ラストがなかなか切なくて好きな映画でした。ガーランド監督は、愛情や勇気、優しさ、協調みたいな一般的にポジティブと考えられる要素が命取りになって、地獄の蓋があくというねじれが好きなのかな…28日後もそういう話だしエクス・マキナもそうですね。

この映画は視覚効果賞でオスカーを取ってて、そこなのか??てニュースを見たときは思っていたのですが、いやまさにそういう映画でした。視覚効果が物語の持つテーマそのものを支えていて、すごく優れたデザインだった。プロダクトデザインとかしている人がみたら、きっともっと気づくところが多いのではないだろうか。

映画の中では自然物と人工物の対比が繰り返し出てきます。大自然の中に窓のない建築物があり、建築物の中には切り取られた自然が配置されます。いわずもがなそれは人間とAI、創造神と創造物の象徴で、ちょっとした入れ子構造になっている。最終的には創造物が創造神となって入れ子構造が逆転します。

で、私がすごく感じたのは、果たして自然物と人工物の間にあるものは「違和感」なのか?ってことなんですよね。私の目には、人間の形からは遠いエヴァアリシア・ヴィキャンデル)のデザインはとても自然と調和しているように感じた。それは神が作った人間(自然)と、人間が作ったAI(人工物)という構造を意識させるものでもあるんですけど…。

映画を見に行く前に科学未来館に遊びに行って、素粒子の展示を見ていたんですが、物質と反物質の説明をみて、なんて世界みたいなんだって驚きましたよね。世界がペアにならずにひとつだけはぐれた物質から生まれてるなんて…なんて優れているデザインなんだろう。本当なのかな???エクス・マキナを見ていてそのことを思い出しました。

 

アリシア・ヴィキャンデルのあの動きは、全部本当の本人の肉体の動きなのかな?動き出す前に機械が計算している間の静止が本当にアンドロイドみたいでな。人形じみてるけどすごく肉体を感じさせる女優でした。

ケイレブ(ドーナル・グリーソン)は、孤独と、寂しさと、甘えが入り混じったナイーブさで世界の断面と相対して、思いっきりビンタを張られて膝をつくわけですが、ドーナル・グリーソンはそういう役柄をさせるとすごく輝く。おいて行かれる役がとても似合う。FRANKもそういう役で、すごくよかったですね。エクス・マキナではビジュアルも実に的確で、アリシア・ヴィキャンデルよりドーナル・グリーソンのほうがビジュアルというかデザインとして優れているのではと思ってしまうほどでございました。今回もとてもはまり役だった。今後も楽しみな俳優さんです。

ネイサン(オスカー・アイザック)もめちゃ不気味でよかったな~~。彼がクレイジーなのかどうかを疑うというよりは、クレイジーは確定していてそのクレイジーを是とするか非とするかっていう話なんだけど、終盤までケイレブはネイサンにセックスをコントロールされるか殺されるかしてしまうのではとドキドキしていました。

あとエンドロールの音楽も映像もすごくクールだった!眼福な映画でした。良作だと思います。エヴァの肉体はエロチックだった~。

 

 

 

インランド・エンパイア/オンリーゴッド/ホーリー・モーターズ 境い目ぼんやりナイト@新文芸坐

20160611 新文芸坐にて鑑賞。

オールナイト上映に遊びに行きました。新文芸坐さんにはよくお世話になっているのですが、境い目ぼんやりナイトと題されたオールナイト上映、とても楽しかったです。

私は自身があまり映画に詳しくないということもあって、自分より詳しい人にこれを見るならこれもいいよ、もしくはこれの上流にはこれがあるよ、などとアドバイスをしてもらうことがとても好きです。音楽でも、映画でも、小説でも一緒です。

俳優や監督の特集上映ももちろん好きなのですが、こういうジャンルともなんともいえない縛りで提案されるディスクガイドのような特集上映が好きです。スターチャンネルのチャンネル2の特集上映なども好きです。本屋さんもそうだしレコード屋さんもそうだし、映画館の人もそうだし、サッカー紙や番組もそうだけど、変な話いつもスノッブでいてほしいんだよね。そして私に提案してほしいなって思います。怠惰です。

3本とも感想を書くのが難しい映画ですが、各映画についての所感。

 

 

インランド・エンパイア(デヴィット・リンチ/アメリカ・ポーランド/2006)

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ほかの2本は公開当時に見ていたので、今回境い目ぼんやりナイトに足を運んだのはインランド・エンパイアを見るためだったのですが…

とにかく怖かった

10時から深夜にかけてみる映画じゃないよお…悪夢は夢の中だけにしてくれ…

 

デヴィット・リンチが映像と音で私を取り囲んで心を追い詰めてくる…。話の筋を追うような映画ではなく、アドリブというかセッションをコラージュしたような作りになってるんですが、見ているうちに、その瞬間その瞬間にフラッシュで焼き付けられる感情が不安と恐怖に集約されていきます。

観終わった後は「はあ~~~こわかったよおおおお」以外の感想がうかんでこなかったんだけれども、落ち着いて何がこわかったのかを考えました(不安と恐怖を解消するには分析しかない)。

私がこわかったのは主に3点です。

1.感情が読み取れない人間の顔(あるいは場面)

2.暗がりに何かがいるようにみえてよく見えない

3.自分(主人公)がいつ、どこにいる、誰なのかが筋を通して把握できない

1と2は3の恐怖による結果みたいなもので、状況が把握できないまま因果関係も理解できず不条理(少なくとも自分が理解している範囲では)に誰かに狙われたり危険な目にあわされるかもしれないという怖さです。なので根本的に怖いのは「3.自分(主人公)がいつ、どこにいる、誰なのかが筋を通して把握できない」です。

私たちは世界を自分の目をとおしてしか見ることができないので、基本的に客観はありえなくてすべて主観で物事を把握します。眠っているとき以外、私たちは、ある時間にある場所で「わたし」が見たことを時系列をおって把握している…つもりです。

しかしながら、その記憶に映画の役柄の人生のように、編集点があったらどうする?場面ごとにカットされて、編集されて、別の場所、別の時間、別の世界とコラージュされていたらどうする?突然の不条理。今日は明日の私。

めっちゃこわいやん

 

 

オンリーゴッド(ニコラス・ウェンディング・レフン/フランス・デンマーク/2013)

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 白状すると、オンリーゴッドは公開当時劇場で見ていたので、ほどほどのところで眠りました。オールナイト上映で不眠は不可能です(わたしは眠るのが好き)。途中までぼんやり見ていたんですが、公開当時にみたときほどは面食らいませんでした。

レフン監督のドライヴがとても好きで、当時オンリーゴッドも見に行ったのですが、その時点でドライヴのほうが異色作であることを私は理解してなかったわけです。

当然ながらジュリアン(ライアン・ゴズリング)に視点をおいて映画を見にいきました。すると、めっちゃこわい一刀両断ベトナムおじさんのカラオケなどを見せつけられ???となったわけだが、この映画、チャン(ヴィタヤ・パンスリンガム)がドライヴでいうところのドライバーだとわかってみていたら、わりとわかりやすい映画だな、と今回ぼんやり見返していて理解しました。

唯一にして絶対無二、神聖なる暴力、怪物、英雄こと、一刀両断ベトナムおじさんが降臨して問答無用に罪深き人々に制裁を下す映画です。

余談ですけど、原題の「Only God Forgives」のほうが良いタイトルだと思います。

 

 

ホーリー・モーターズレオス・カラックス/フランス・ドイツ/2012)

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ホーリー・モーターズも2回目の鑑賞です。初回にみたときは序盤のモーションキャプチャやら緑のマンホールおじさんやら音楽隊が強烈すぎたんですが(ゴジラのテーマが流れるところ面白すぎるだろ)、今回改めて見るとカイリー・ミノーグ様様でありました。

誰が見ているわけでもないのにひたすらロールを演じ続けて、私は、演技をしていない私は誰なのか。本当の私は誰なのか。家族ですらも役割を果たすために演技をする集団でしかない。もう誰がそれを望んでいるのかもわからないまま、自分がそれを望んでいるのかどうかもわからないまま、死ぬ寸前まである感情を演じ続ける。その感情は演技ではないのかとハッと我にかえって自問自答する。

私は感情が爆発してワッと泣き出した瞬間に、「これは泣くほどのことだろうか。涙が出るこの感情は何に振り分けるのかしら。これは本当に深刻な、真剣な、心からの涙かしら」と自分を観察する視点が生まれます。私の神聖なるリムジンかな。

カイリー・ミノーグの愛らしく、淋しいような声が残響します。

ボーダーライン(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/2015/アメリカ) 僕の約束を守って

20160525 角川シネマ新宿にて

公式サイトはこちら

border-line.jp

 

最もおそろしい死ってなにかな、と考える。

病気で苦しんで死ぬ、交通事故で死ぬ、首をくくって死ぬ、レイプされて遺棄されて死ぬ、戦争で死ぬ、飢えて死ぬ、刺されて死ぬ、銃で打たれて死ぬ、殴られて死ぬ、手足を切られて死ぬ、ドラム缶にコンクリート詰めにされて死ぬ、家族を目の前で殺された末、死ぬ。

私はとにかく残虐で、非人道的で、尊厳をはく奪された死に方をしたくはない、できることなら私の家族にも尊厳を保ったまま死んでほしい。死はいずれ必ず訪れるけれど、できるだけ穏やかにその時が来てほしい。

 

そこで私たちは「約束」する。「私はあなたを殺さないので、あなたも私を殺さないでください。」

生命を尊び、法にのっとり、罪を犯した者は罰せられ、安全に朝起きて、食事をし、道を歩き、仕事をして、夜には家族と眠る生活が守られるよう、お互いを尊重しあうと約束して社会を形成する。

しかし現実はどうだろう。約束の恩恵が平等に与えられることはない。愛する者が安全で豊かに生きる暮らしを望むなら、「どちらが最初に約束を破るか」を競うことになる。「約束」は守られることなく、倫理は破綻し、社会は荒廃する。

 

法にのっとり尊厳が保たれた社会を維持するための暴力の行使者であるケイト(エミリー・ブラント)が、荒廃した世界で立つ地面を失い暴力そのものになってしまったアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)にいったい何が言えるだろうか。あなたもわたしも望んだものは同じなのに。

アレハンドロはケイトに、暴力を放棄してボーダーラインの向こうに戻れと諭す。アレハンドロは向こう側には行けない。ボーダーラインの内側に生まれた人だから。

ベニチオ・デル・トロの顔ってすごく奥行きがありますよな~。見るたびに役者としてすごく恵まれた容貌だと思います。滲む悲哀…滲む分以外には全く外に漏れない悲哀。もしかして手をつなぐことができるんじゃないかと思わせるのに、手をつなごうとした瞬間に銃口を向けられるアンビバレンスが素晴らしい。

エミリー・ブラントは、成熟した女性であると同時に見せる永遠の少女の顔。つかれた潔癖の向こう側に、野原を無邪気に駆け回る少女が見える。かいまみえる少女性が清廉で、グロテスクさがないのは彼女のチャームですね。

R15で直接的な暴力表現はフレームの外側に、音と暴力を行使している本人を見せるだけっていうのがよかったです。余計に怖いよ。

あと、CIAと特殊部隊のトンネル突入シーンもすごくよかったです。真っ赤な萌える夕焼けから夜の暗闇へのグラデーション、その手前を横切る暗視スコープを装備した隊員たちの黒いシルエットは、思わずため息の出る美しさだった。撮影はコーエン兄弟作品でおなじみのロジャー・ディーキンスです。

余談ですが、ちょうどスタチャンでゼロ・ダーク・サーティみたばかりでつい比べてしまったんだけど、ゼロ・ダーク・サーティより良かったね…。とてもドキドキしたし、約束なき暴力の世界の不条理さ、不気味さ満点でした。わたしと同じ列に座っていた人がすごい驚き屋さんで、突然の銃撃のたびに椅子が揺れ…これが4DXか……

キャスリン・ビグローってあまり好きになれないんですが(ハートロッカーとゼロ・ダーク・サーティしかみてないけど)、ボーダーラインを見てその理由をうっすら考えました。つまり、そもそも約束を破ったのはお前なんじゃないのっていう視点が欠けてる気がするんだな。それはシビルウォーにおけるキャップに欠けてると感じる要素でもある(余談の余談)。

そんなんじゃアメリカの正義の話なんて誰も聞く気が起きないよ。と広島にやってくるオバマさんにいいたくなるのも致し方なかろうもん。

ヘイル、シーザー!(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン/アメリカ/2016) 私たちの物語を照らす光

20160520 ユナイテッドシネマ豊洲にて鑑賞。

公式サイトはこちら

hailcaesar.jp

そもそもわたしは映画(舞台)をつくる映画や映画の中に映画が出てくる映画(読みにくいな)に大変弱く、そのためこの映画についても大号泣でございました。

私は映画に詳しいわけでもなく予備知識もさほどないので、そのあたりはあとで勉強するとして(いいわけ)、私が初めてスクリーンで体感したコーエン兄弟ショックについて、粛々と記しておきます。

この映画は、きらびやかな50年代のハリウッドを舞台として、搾取されている労働者から資本主義の奴隷となっているハリウッド映画への告発(共産主義)と、劇中劇として登場するキリスト教映画(ローマ軍の将校がキリストの前に魂を打たれる話)の2筋のストーリーがメインプロットになっています。この2つのストーリーは、「光」で交錯していく。

ここでいう「光」っていうのは、例えばキリスト教や資本主義、共産主義など、名前が付いた、権威化したものを指しているのではなく、そうした装飾をとりはらったプリミティブなものだと思います(本来の意味での信仰と、権威化されてる信仰とは別のものだと考える)。

たとえば、その光は、映画をめぐるトラブル解決に奔走しながら映画業界は「虚業」だと言われ、「実業」であるロッキード社への転職に揺れるエディが、すでに心の中にもっていた答えでもある。

共産主義に傾倒したバートが、飛び込んできた愛犬のためにあっさり活動資金を海に落としてしまうときに射す光でもある。

演技がさっぱりできない田舎者のボビーが、エディが心配しているから帰るんだ、ときっぱり語るときに瞳に射す光でもある。

共産主義にかぶれて、ハリウッド映画は資本家の私腹を肥やすツールだよとのたまうベアードに対して、エディはいま腹の底からでた言葉を出して来いそれがお前の(わたしたちの)すべてだっとビンタを張って現場に送り出す。そしてベアードは、実際には存在しないキリストの前に膝まづき、光に照らされる演技で、その現場にいたすべての人々の心を捉え、畏敬の念を抱かせる(台詞ミスってダメになるんだけどw)。

人はいろんなものに救いを求める。それは宗教だったり資本主義だったり、共産主義だったり、名誉だったり、お金だったり、恋人だったり、いろいろです。でも、生きている一人ひとりの物語が腹の底から出てくる剥き出しの光(私たちの中にある内的な光)に照らされるとき、それは教派も思想も貧富も身分も出身も年齢も善悪もすべてを超えて人生を祝福する。その光は私たちに寄り添い、私たちが自分の職務にただ励むことを祝福する。  

そして映画もまた、フィルムを通る光によって照らされるとき、教派も思想も貧富も身分も出身も年齢も善悪も超えて、ひとびとに寄り添う夢の光になる。

 

映画はそのようなものだと多分、コーエン兄弟は信じている。そのようにして映画を撮っている。

 

…う~~ん…もっとうまくまとめられたらいいんですけど、こう…うまく伝えられた気がしない。正直言うと、テキストの理解が所々で追いつかない部分もあり(不勉強)、もう一回みたいなあという感じですが、とりあえず今私にかけるのはここまでだ(大の字)。

 

どの俳優もすばらしくて、しかもそれが物語のためにすべてささげられていて、なんて贅沢な映画だよ…という気持ち。特にアルデン・エーレンライクはとっても良かったです。彼の役はアンナ・カレーニナでいうリョーヴィンみたいな存在なんですが、その説得力が本当に素晴らしかった。

大根役者でまともな映画になりそうになかった作品、編集室でそのフィルムが映し出されたとき、彼とそのフィルムを撮った往年の名監督が素晴らしい仕事をしたのだということが一目でわかる。月を眺めてわけもわからず歌をうたったその演技で、彼が圧倒的な才能をもった若者だという説得力を持たせる。粗野で品のないキャラクタの奥からにじみ出る、飾りをとっぱらって真実を見抜く言葉のするどさ、瞳の光は、この映画の背骨でもあったように思う。

出演作ではヴァージニア、イノセント・ガーデンブルージャスミンとみているはずが、あまり記憶がなく…でもヴァージニアの不良役はかなり印象的だった。エル・ファニングとバイクに乗ってた子だよね???(多分)

スターウォーズはみりしらなのですが、これから先が大変楽しみな俳優だなと思いました。

うまくまとめられないけど、すごく好きな映画です。映画中にでてきた、完成試写やフィルムの再生場面で、私は全部だばだばに泣いてしまったよ。「地獄でなぜ悪い」とかも大好きなんだけど、あれも完成試写(妄想)のところでいつも泣いてしまうのだった。

これがもう過去の幻想でしかないとしても、映画はフィルムの隙間を光がとおって映し出される物語のことを指すんだよ、と信じる。

  

160523修正

善性の光という言葉を剥き出しの光という言葉に修正しました。そちらの方がしっくりきます

 

 

 

 

追憶の森(ガス・ヴァン・サント/アメリカ/2015)

20160512、ユナイテッドシネマ豊洲にて鑑賞。

公式サイトはこちら

tsuiokunomori.jp

マコノヒー案件として豊洲に赴く。ガス・ヴァン・サントはなんか気が合わなさそうだなという気がしていたのでじつは初見です…洗礼を浴びるの巻。

カンヌで酷評という報道をほぼ一年前に目にしていたので、戦々恐々としていましたが、なるほど…なるほどね。酷評されるのもわからぬでもないし、あまりカンヌと相性がよくなさそうな内容でしたw

ネタバレが映画の重要な部分を担っているので、以下ご覧になる方は回避推奨です。

 

 

まずは謙さんがガチ守護天使(比喩ではない)であるということがわかったところで、そういう映画だったのならもっとそういう感じで話をしてくれよ!という気持ちがわいてきたのが正直な感想です。

この映画のどーなのよ??となる主な部分は、展開が唐突だとかご都合主義過ぎ、などかと思います。話自体の展開はそんなにいうほどお粗末ではないし、日本国内の描写もそこまで陳腐じゃないんだけど、おそらくプロット?というか物語り方?に問題があって、ladder(皮肉ではないです)を上るための段が2,3個抜けているために、そのシーンがどのように意図されているものなのかがしっかり伝わらない。とくに導入部分…彼の動機自体がミステリの一部なのでそこが書けないのは仕方がないんだけど、もうすこし彼のパーソナリティがわかるようなカットがほしいですよね…どんなやつなのか全然わからないので心が話についていけなくなる。ほんのすこし丁寧に入れるだけでもいいと思うんですけど…

そしてもうひとつ、???となる部分に物語のレイヤーの浅さがある。つまり割と理由が陳腐に見えるってことなんですが。

「死者との対話」と「魂の救済」というテーマが陳腐だとは思わないです。そのテーマの設定に対する説得力のなさが、物語を陳腐にみせる。

たとえば、日本の富士山信仰、山岳信仰についてのレイヤーがもう一枚重なっていたらどうだろうか。なぜ死を求める人が集まり、なぜ死者との対話ができるのか。なぜそれが富士山麓の森なのか。

そして、その森に神性が宿っていれば(森を移すショットにフィルムのマジックを感じたなら)もっともっと深みのある映画になったのではないかと思う。テーマはレヴェナントにわりと近いんじゃないかと思うのですが、ルベツキの撮った森には神が宿っていたけど、この映画にはそれはなかったと思います。

あとちょっと気になったのは、中途半端にタクミ(謙さん)が自分のプロフィールを語るところで、それは…こうもうちょっと気の利いたやり方があったんじゃないかなと思いました。

というわけで、残念な部分もあった映画でしたが、マコノヒーが大好きな私としては、森の中で2人の男が死体と一緒に抱き合ったり語ったり眠ったりという充実した映画でもありました。眼鏡が素敵ね…。主演2人のペアはとっても素敵でした。

しばしば思うのですが、こういう日本を舞台にした映画を海外の人が撮るとき、その文化的背景を詳しい人に聞くという発想はないのだろうか?そんな余裕ないのかもしれないですけど。

 

シビルウォー キャプテンアメリカ(アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ/アメリカ/2016)  私の戦争はどこ

としまえん3DIMAXにて鑑賞。

公式サイトはこちら

marvel.disney.co.jp

またMCUですごい作品が生まれたな〜。色々な切り取り方ができる作品ですが、大きな嘘を支える小さな嘘としての痛みと、ルッソ兄弟の暴力描写について思ったことを。


ズートピアと同じくよく出来すぎてて感想の言葉を失いますな。前作のWSでもそうなんですが、まずアクションが素晴らしいですよね。私がすごく好きなのは、慣性がきちっと描かれること。殴った側の反動と、殴られた側が接触して、吹っ飛んで、何かにぶつかり跳ね返る(これがとてもいい)までがアクションのワンセットとなっていて、その重力がつまりたしかにそこにある「痛み」に説得力を持たせる。

ヒーロー映画は起こる出来事(フィクション、嘘)は大きくなきゃいけないけど、嘘はでかすぎると、観客は置いてけぼりになる。そこで大きな嘘を支えるためには、さも本当にそこにあると観客に思わせられるような小さな嘘をつみかさねて説得力を出さなきゃいけない。

映画の大きな嘘を支えているルッソ兄弟の「小さな嘘」は、確かにそこにある「痛み」であり、それがつまりあの暴力描写、アクションなんじゃないかと今回強く思いました。本当にアクションは素晴らしかったよ~。なんどもうっと声を出してしまった。

 

アベンジャーズの働きによって無関係の市民が(ごめんなさい数覚えてない)死にました、と聞いて、最初は大局を考えたら小さい犠牲は仕方ないのでは?って思う。ティ・チャカが父の敵を討つと誓ったとき、その憎しみは個人的なもので、公のことを考えたらどうよ…とも思う。
痛みが自分から離れたところにあるとき、私たちは個人よりも大局を優先すべきと考える。多分トニーの心境に近いのではないかしら。彼は戦争に使う道具を作る人で、彼は彼なりに大局を考えて平和を維持するために自分の力を使おうとしているけど、戦争自体はすごく遠くにある人です。

トニーが自分の父母の真実を知ったときに、彼の前に初めて知性を覆ってしまう怒りと圧倒的に現実の「痛み」がやってくる。私たちはその姿をみて哀しみ、でもバッキーが悪くないことも知っていて、それでも抑えきれないトニーの怒りに心が引き裂かれて涙する。

でも、でもその痛みは、私が人数も覚えていないソコヴィアで死んだ市民にも起こったことなんだよ、トニー…皆に起こっていたことはそれなの…。トニーも私も、ラストに至ってそのことを本当の意味で理解する。ジーモにとっても遠くにあった痛みは家族を失って初めて現実となった。

映画冒頭は希薄だった痛みは、小気味よく切れがよくしかし圧倒的に重力のある暴力描写によって丁寧に嘘が積み重ねられて、最後に至り私たちに現実世界の確かな痛みを突きつける。それは、今、アメリカ(裕福な私たち)から遠く離れた世界で起こっている現実の痛みでもある…

そして、現実の世界でも存在している問題に対して、オプティミスティックな祈りもしっかりと映画の中で描かれる。それはまさに祈りだと思うんだけど。これはズートピアと一緒で、ブロックバスター映画が担うべき責務みたいな意思を感じたのでした。

その一つはティ・チャカがジーモを許すことだよね。私はマンデラ大統領のことなどを思い出したりもしたんだけど、結局一番最初に犠牲になるのはいわゆる第三国の貧しい人々なのは象徴的だし、報復を最初に放棄し争いの連鎖を断ち切るのがティ・チャカなのもすごく象徴的だった。

もう一つは、キャップの手紙にあるindividualですよね。複雑になってしまったこの世界で私とあなたの最小単位においてまだ分かり合うことは可能なのではないか。現実にはすごく難しいことだけど…

それってきっとルッソ兄弟が考えるアメリカっていう国のスピリットでもあり希望でもあると思うのですよね。キャップはアメリカの魂として、それを信じているんだな。キャップはすごくすごくかっこいいです…それぞれキャラの憂いを乗せた表情も丁寧に撮ってて美しかった。
あらゆる方面に目配せし、楽しませる要素は行き届き、 ドキドキするサスペンス(終盤までジーモの思惑がうまく隠されてるのうめえな!て思いました。この大作の悪役を上滑りせず務めたダニエル・ブリュールは本当にブリリアント)も、思わぬ展開の逆転もあり、シリアスな話が重たくなってきたところでスカッとするアクションもあり、次回作が自分たちの手を離れても大丈夫なように、気を効かせて話を閉じる。 個々のキャラクタたちは一人一人が信念を持って行動し、生き生きとストーリーを紡いでいく。ルッソ兄弟がどこまで走るのか続きを見るのが楽しみです!

 

あと新しいスパイダーマンも超楽しみ。ブラックパンサーも!!あとナターシャの個人タイトルどうか頼む(ナタクリ出会い編で)。

今回、知ってる俳優いっぱい出てきて楽しかった!ダニエル・ブリュールの役どころ全く知らなかったのでびっくりとともに、すご~~くよかった。。あの悪役の位置にドイツ人俳優を配役したのは、これもまたバランス感覚というやつかと思いました。マーティンまじでいつもと同じ感じでめちゃわらった。普通のおじさん最高w
トム・ホランドのスパイディめちゃ楽しみっ!キャップとのボーイ!どこ出身だよ!ってのもよかった…。私はオンザハイウェイで声の出演だけ聞いています。スパイディの軽妙さがアベンジャーズにいるときの空気読まない感じに通づるとこがあり楽しかった。マリサ・トメイのメイおばさん反則すぎ。

細かいところで、老年期のスターク父ちゃんがマッドメンのロジャーだったのもおってなりました。あとスタン・リー御大の登場シーンは個人的に一番好きかも。ガーディアンズオブギャラクシーのも好きなんですけどw

終盤近くのロシア行ってからはもう、本当に暴力描写が耽美としか言いようがなく…もういっかい2Dで見たい、キャップもバッキーもトニーも、ティ・チャラもジーモも、本当に美しい表情だった。すばらしかったよ。正直に申し上げると、役者としての力量がRDJが頭一つ抜けているのでちょっとバランスが崩れてしまっているという気がしましたが…

あえて物足りない部分をあげるなら、キャップのキャラクタが弱いということ、アメリカの功罪の罪がいつも彼の外側にあるという点でどうしても物足りないと感じるのですが、それはインフィニティー・ウォーの出来を待とうと思います。

 

中盤の楽しいガチンコ対決はほんと楽しいガチンコ対決だったんだけど(でかくなるの楽しいすぎ)、もしアベンジャーズにXMEN合流してたら収集つかんかったな…って夢想してにやにやしました。どう考えても教授はチートやな…