インランド・エンパイア/オンリーゴッド/ホーリー・モーターズ 境い目ぼんやりナイト@新文芸坐

20160611 新文芸坐にて鑑賞。

オールナイト上映に遊びに行きました。新文芸坐さんにはよくお世話になっているのですが、境い目ぼんやりナイトと題されたオールナイト上映、とても楽しかったです。

私は自身があまり映画に詳しくないということもあって、自分より詳しい人にこれを見るならこれもいいよ、もしくはこれの上流にはこれがあるよ、などとアドバイスをしてもらうことがとても好きです。音楽でも、映画でも、小説でも一緒です。

俳優や監督の特集上映ももちろん好きなのですが、こういうジャンルともなんともいえない縛りで提案されるディスクガイドのような特集上映が好きです。スターチャンネルのチャンネル2の特集上映なども好きです。本屋さんもそうだしレコード屋さんもそうだし、映画館の人もそうだし、サッカー紙や番組もそうだけど、変な話いつもスノッブでいてほしいんだよね。そして私に提案してほしいなって思います。怠惰です。

3本とも感想を書くのが難しい映画ですが、各映画についての所感。

 

 

インランド・エンパイア(デヴィット・リンチ/アメリカ・ポーランド/2006)

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ほかの2本は公開当時に見ていたので、今回境い目ぼんやりナイトに足を運んだのはインランド・エンパイアを見るためだったのですが…

とにかく怖かった

10時から深夜にかけてみる映画じゃないよお…悪夢は夢の中だけにしてくれ…

 

デヴィット・リンチが映像と音で私を取り囲んで心を追い詰めてくる…。話の筋を追うような映画ではなく、アドリブというかセッションをコラージュしたような作りになってるんですが、見ているうちに、その瞬間その瞬間にフラッシュで焼き付けられる感情が不安と恐怖に集約されていきます。

観終わった後は「はあ~~~こわかったよおおおお」以外の感想がうかんでこなかったんだけれども、落ち着いて何がこわかったのかを考えました(不安と恐怖を解消するには分析しかない)。

私がこわかったのは主に3点です。

1.感情が読み取れない人間の顔(あるいは場面)

2.暗がりに何かがいるようにみえてよく見えない

3.自分(主人公)がいつ、どこにいる、誰なのかが筋を通して把握できない

1と2は3の恐怖による結果みたいなもので、状況が把握できないまま因果関係も理解できず不条理(少なくとも自分が理解している範囲では)に誰かに狙われたり危険な目にあわされるかもしれないという怖さです。なので根本的に怖いのは「3.自分(主人公)がいつ、どこにいる、誰なのかが筋を通して把握できない」です。

私たちは世界を自分の目をとおしてしか見ることができないので、基本的に客観はありえなくてすべて主観で物事を把握します。眠っているとき以外、私たちは、ある時間にある場所で「わたし」が見たことを時系列をおって把握している…つもりです。

しかしながら、その記憶に映画の役柄の人生のように、編集点があったらどうする?場面ごとにカットされて、編集されて、別の場所、別の時間、別の世界とコラージュされていたらどうする?突然の不条理。今日は明日の私。

めっちゃこわいやん

 

 

オンリーゴッド(ニコラス・ウェンディング・レフン/フランス・デンマーク/2013)

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 白状すると、オンリーゴッドは公開当時劇場で見ていたので、ほどほどのところで眠りました。オールナイト上映で不眠は不可能です(わたしは眠るのが好き)。途中までぼんやり見ていたんですが、公開当時にみたときほどは面食らいませんでした。

レフン監督のドライヴがとても好きで、当時オンリーゴッドも見に行ったのですが、その時点でドライヴのほうが異色作であることを私は理解してなかったわけです。

当然ながらジュリアン(ライアン・ゴズリング)に視点をおいて映画を見にいきました。すると、めっちゃこわい一刀両断ベトナムおじさんのカラオケなどを見せつけられ???となったわけだが、この映画、チャン(ヴィタヤ・パンスリンガム)がドライヴでいうところのドライバーだとわかってみていたら、わりとわかりやすい映画だな、と今回ぼんやり見返していて理解しました。

唯一にして絶対無二、神聖なる暴力、怪物、英雄こと、一刀両断ベトナムおじさんが降臨して問答無用に罪深き人々に制裁を下す映画です。

余談ですけど、原題の「Only God Forgives」のほうが良いタイトルだと思います。

 

 

ホーリー・モーターズレオス・カラックス/フランス・ドイツ/2012)

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ホーリー・モーターズも2回目の鑑賞です。初回にみたときは序盤のモーションキャプチャやら緑のマンホールおじさんやら音楽隊が強烈すぎたんですが(ゴジラのテーマが流れるところ面白すぎるだろ)、今回改めて見るとカイリー・ミノーグ様様でありました。

誰が見ているわけでもないのにひたすらロールを演じ続けて、私は、演技をしていない私は誰なのか。本当の私は誰なのか。家族ですらも役割を果たすために演技をする集団でしかない。もう誰がそれを望んでいるのかもわからないまま、自分がそれを望んでいるのかどうかもわからないまま、死ぬ寸前まである感情を演じ続ける。その感情は演技ではないのかとハッと我にかえって自問自答する。

私は感情が爆発してワッと泣き出した瞬間に、「これは泣くほどのことだろうか。涙が出るこの感情は何に振り分けるのかしら。これは本当に深刻な、真剣な、心からの涙かしら」と自分を観察する視点が生まれます。私の神聖なるリムジンかな。

カイリー・ミノーグの愛らしく、淋しいような声が残響します。