8月納涼歌舞伎「野田版 桜の森の満開の下」その1/ずっと前から独りきり、桜の森で待っていた

8月納涼歌舞伎で「野田版桜の森の満開の下」を観てきました。

歌舞伎は過去に一度友人のつてで連れて行っていただいたことがあります。その時も美しいものだなと感心したものの演目はなんだったかしらね…松たか子のお兄さんが出ていてすごくかっこよかった(小並感)というレベルの歌舞伎ド素人の私がなぜ「野田版桜の森の満開の下」を見に行ったかというと、大学の卒論・修論坂口安吾で書いていたからです(衝撃的なことに卒論は何書いたか全く覚えてないんだけど、修論は吹雪物語考で書いた。web検索でpdf出てくる)。
学生だった当時も「野田版 桜の森の満開の下」の存在は安吾の奥さんが見に行った話などを文庫のあとがきかなにかで読んで知っていて、是非見てみたかったけど、三重の片田舎にいる学生にはどう考えてもハードルが高かった。
いまや東京にすんでお金はないが時間はある大人になったので、せっかくだから見に行ってみようと思ったわけです。

右も左もよくわからぬまま8月19日に一等席(二階ではあるがど真ん中3列目くらい。素人がんばったやないか)で鑑賞して、どうもすごくよかったような気持ちがした。それで8月25日に右往左往しながら行列に並んで幕見席でもう一度鑑賞して、それが19日にみたものよりずっとずっと素晴らしかったので、ちゃんと感想を書こうと思います。
ほぼ口語に近い「野田版桜の森の満開の下」ですが、歌舞伎慣れしてないもんで何をいっているのか聞き取れない部分は当然あり、2回観ただけでは物語の読み込みが甘い部分があるとは思いますが、幕間で聞いたイヤホンガイドのコメンタリさんが観て全部わかんなくてもいい、っていう野田さんの言葉を紹介してくれてたので(優しい)、お言葉に甘えて現時点の私なりの感想を記しておきます。


「野田版桜の森の満開の下」はタイトルは桜の森の満開の下になっているものの、実際のストーリーのベースになっているのはほぼ夜長姫と耳男です。なので、桜の森の満開の下と夜長姫と耳男を読んでいるとすごくわかりがいいです。たぶん。
原著はこちら(青空文庫
桜の森の満開の下
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42618_21410.html
夜長姫と耳男
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42614_21838.html

劇のあらすじは過去に野田さんの劇団で上演した筋とほぼ同じですたぶん。こちらの方が簡単に紹介してくださっている。
http://www.ne.jp/asahi/loveangel/volcano/SakuranoMori.htm
単行本でも出ているんだね。5000円たたたたっけえ!!って思ったらkindleだと324円です。最高。買いました。今中身見たけど脚本形式だった。
https://www.amazon.co.jp/dp/product/4103405082/ref=as_li_tf_tl?camp=247&creative=1211&creativeASIN=4103405082&ie=UTF8&linkCode=as2&tag=bookmeter_book_image_image_pc_logoff-22

 

 

というわけで本題。


坂口安吾が執筆した「文学のふるさと」というエッセイがあります。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html

イヤホンガイドでも紹介されていて、とても親切だなと思いました。安吾の物語、ないし野田版桜の森の満開の下を理解するにあたって、「人間のふるさと」は「アモラル」「いきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、然、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない」「生存それ自体が孕はらんでいる絶対の孤独」であり、「このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。」と安吾が考えていたことを念頭に置く必要があります。
ふるさとが実際のところ何なのかについては話し始めると10万字だから坂口安吾を読んでください。アモラルはインモラルとは違うよってとこだけ勘違いしないようご注意ください。そこ大事だで。


「野田版 桜の森の満開の下」では安吾作品の最重要概念のひとつである「ふるさと」を軸にして、物語のなかにいくつかのレイヤーを敷いてすべてうまいこと串刺しにしています。

歌舞伎「野田版 桜の森の満開の下」のレイヤーは私が観ていて気付いた範囲ではこんな感じ
①耳男と夜長姫をめぐる創作の源について
応仁の乱※1をめぐる国のかたちの成立について
③日本神話における国造り(たぶん)
④創作者として生きた安吾の鬼子ぶり(たぶん)

※1:応仁の乱じゃなくて壬申の乱だよ!ばか!素で間違えていました。恥ずかしいので見せしめに脚注の刑にしておきます。

この4つのほかにも、言葉遊びとか歌舞伎の劇構造のレイヤーなどが乗ってるんだけど、それは私の知識がないのでよくわかりません(怠惰)。まあでも物語の根幹は間違いなく①にあるので、それにほかの3つが集約されていく形になっています。②は物語で起こる事象、③は①と秩序/混沌の概念を結ぶイメージ、④は野田さんが安吾の話をもとに桜の森の満開の下を描いた時点で必然的にそうなるであろう安吾への共振みたいなもんだと思います。

 

正直、この多層構造のおかげで安吾の描いた原作より肉体があっていいねと思う部分もある。一番うまいなあと感心したのは、この「ふるさと」を人間/鬼、もっというなら秩序/混沌という概念の軸にスライドさせて、どのレイヤーにも矛盾なく軸が刺さるようにしているところです。「ふるさと的でないもの/ふるさと的なもの」の概念を「(既存の)モラル/アモラル」と理解して、それを「秩序/混沌」と解釈したんだと思うけど、まあまあすごいよね。野田さんはこの脚本を33歳のときに初演しています(いまのわたしと同い年…)。

またこれが、歌舞伎になったときにうまくアレンジされていて、歌舞伎の登場人物たちは七・五調でしゃべる(秩序)んだけど、黒子の網(なんていうんすかあれ。舞台上にいるのにいないことになる人…)※2被ってる鬼たちは口語(混沌)なんだよね。そんで、俺たちも七・五調でしゃべりて~なんていうわけだ。

※2 黒子ではなく歌舞伎では黒衣っていうと教えていただきました。 くろごって読むんだって。

おおまか概念を整理すると、こんな感じなのかなと思います。

混沌:鬼、桜の森の満開の下、青空、外側、盗人たち、神代(古き治世者)、死者、戦争、にわかあめ
秩序:人、都、内側、政府、人代(新しき治世者)、生者

こうやって振り分けるときに夜長姫を混沌そのものにいれるのかは迷うところなんですが、夜長姫は「ただじっと見ている人」なので、秩序の側にいたまま混沌を見つめる人、なのかな。耳男は夜長姫と一緒に混沌と秩序の間をいったりきたりします。最終的にはずっと混沌にいるけれど、どこへでも行ける人になる。
この振り分けはおおまかなので、盗賊たちなどの人間を混沌側に振るのは便宜的です。②のレイヤーにおいて盗賊たちはあきらかに混沌側なんですけど、①のレイヤーにおいて混沌側にはいない(ていうか登場しない)。①のレイヤーにおける混沌と②のレイヤーにおける混沌はイメージはダブってはいるけど厳密にいうと同じ概念とは言えないです。このあたりは野田さんに聞かないとよくわからんな(思考放棄)。わからん。あくまで「的なもの」ととらえて先に進みます。

大まかな物語の構造は、「秩序」の裏側にある「混沌」のなかで、耳男が「生存それ自体が孕はらんでいる絶対の孤独」(それはずっと最初からそこにあるのに、普段は目に見えないもの)を知って、それは創造者にとっては「ふるさと」であるというお話だと思います。

 

あともう1点、しっかり押さえてあるなあと思ったのは、「野田版 桜の森の満開の下」の全体的なテイストは滑稽というところです。もしかすると野田さんの作品全体に通底する雰囲気なのかもしれないですが、ほかの野田さんの作品を見たことがないのでわからない。

桜の森の満開の下および夜長姫と耳男の原典は基本的にシリアスなムードの物語ですけど「野田版 桜の森の満開の下」は耳男の性格もずいぶん明るくて、鬼たちや盗賊たちの軽妙なやりとりも(坂東巳之助くんのハンニャがとくにかわいい。贔屓。)テンポよく、劇にするにあたって滑稽をベースにしているのはさすが野田さんやな~と思いました。

安吾は「FARCEに就て」というエッセイで芸術の最高形式はファルスである、と書いています。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45801_38837.html

多分、安吾にとってのファルスは「文学のふるさと」と根っこがつながっている。「存在として孕んでゐる、凡そ所有ゆるどうにもならない矛盾の全て」は「生存それ自体が孕はらんでいる絶対の孤独」と近いものだろうと思います。同じものなのかな。

普段の野田さんの作風を存じ上げないんだけど、安吾の作品を野田さんが選んでいたのは自身との共振があったからなんだろな~などと思いました。

 

前半はここまでにして、後半で各レイヤーがどんな話なのかってことと、ふるさと的なものがなんなのかもうちょっと、そして「ふるさと」に立っていた勘九郎くんと七之助くんの素晴らしかった演技の話をします。
ぜんぜん本題にたどり着いとらんがな。