読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ヘイル、シーザー!(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン/アメリカ/2016) 私たちの物語を照らす光

映画感想

20160520 ユナイテッドシネマ豊洲にて鑑賞。

公式サイトはこちら

hailcaesar.jp

そもそもわたしは映画(舞台)をつくる映画や映画の中に映画が出てくる映画(読みにくいな)に大変弱く、そのためこの映画についても大号泣でございました。

私は映画に詳しいわけでもなく予備知識もさほどないので、そのあたりはあとで勉強するとして(いいわけ)、私が初めてスクリーンで体感したコーエン兄弟ショックについて、粛々と記しておきます。

この映画は、きらびやかな50年代のハリウッドを舞台として、搾取されている労働者から資本主義の奴隷となっているハリウッド映画への告発(共産主義)と、劇中劇として登場するキリスト教映画(ローマ軍の将校がキリストの前に魂を打たれる話)の2筋のストーリーがメインプロットになっています。この2つのストーリーは、「光」で交錯していく。

ここでいう「光」っていうのは、例えばキリスト教や資本主義、共産主義など、名前が付いた、権威化したものを指しているのではなく、そうした装飾をとりはらったプリミティブなものだと思います(本来の意味での信仰と、権威化されてる信仰とは別のものだと考える)。

たとえば、その光は、映画をめぐるトラブル解決に奔走しながら映画業界は「虚業」だと言われ、「実業」であるロッキード社への転職に揺れるエディが、すでに心の中にもっていた答えでもある。

共産主義に傾倒したバートが、飛び込んできた愛犬のためにあっさり活動資金を海に落としてしまうときに射す光でもある。

演技がさっぱりできない田舎者のボビーが、エディが心配しているから帰るんだ、ときっぱり語るときに瞳に射す光でもある。

共産主義にかぶれて、ハリウッド映画は資本家の私腹を肥やすツールだよとのたまうベアードに対して、エディはいま腹の底からでた言葉を出して来いそれがお前の(わたしたちの)すべてだっとビンタを張って現場に送り出す。そしてベアードは、実際には存在しないキリストの前に膝まづき、光に照らされる演技で、その現場にいたすべての人々の心を捉え、畏敬の念を抱かせる(台詞ミスってダメになるんだけどw)。

人はいろんなものに救いを求める。それは宗教だったり資本主義だったり、共産主義だったり、名誉だったり、お金だったり、恋人だったり、いろいろです。でも、生きている一人ひとりの物語が腹の底から出てくる剥き出しの光(私たちの中にある内的な光)に照らされるとき、それは教派も思想も貧富も身分も出身も年齢も善悪もすべてを超えて人生を祝福する。その光は私たちに寄り添い、私たちが自分の職務にただ励むことを祝福する。  

そして映画もまた、フィルムを通る光によって照らされるとき、教派も思想も貧富も身分も出身も年齢も善悪も超えて、ひとびとに寄り添う夢の光になる。

 

映画はそのようなものだと多分、コーエン兄弟は信じている。そのようにして映画を撮っている。

 

…う~~ん…もっとうまくまとめられたらいいんですけど、こう…うまく伝えられた気がしない。正直言うと、テキストの理解が所々で追いつかない部分もあり(不勉強)、もう一回みたいなあという感じですが、とりあえず今私にかけるのはここまでだ(大の字)。

 

どの俳優もすばらしくて、しかもそれが物語のためにすべてささげられていて、なんて贅沢な映画だよ…という気持ち。特にアルデン・エーレンライクはとっても良かったです。彼の役はアンナ・カレーニナでいうリョーヴィンみたいな存在なんですが、その説得力が本当に素晴らしかった。

大根役者でまともな映画になりそうになかった作品、編集室でそのフィルムが映し出されたとき、彼とそのフィルムを撮った往年の名監督が素晴らしい仕事をしたのだということが一目でわかる。月を眺めてわけもわからず歌をうたったその演技で、彼が圧倒的な才能をもった若者だという説得力を持たせる。粗野で品のないキャラクタの奥からにじみ出る、飾りをとっぱらって真実を見抜く言葉のするどさ、瞳の光は、この映画の背骨でもあったように思う。

出演作ではヴァージニア、イノセント・ガーデンブルージャスミンとみているはずが、あまり記憶がなく…でもヴァージニアの不良役はかなり印象的だった。エル・ファニングとバイクに乗ってた子だよね???(多分)

スターウォーズはみりしらなのですが、これから先が大変楽しみな俳優だなと思いました。

うまくまとめられないけど、すごく好きな映画です。映画中にでてきた、完成試写やフィルムの再生場面で、私は全部だばだばに泣いてしまったよ。「地獄でなぜ悪い」とかも大好きなんだけど、あれも完成試写(妄想)のところでいつも泣いてしまうのだった。

これがもう過去の幻想でしかないとしても、映画はフィルムの隙間を光がとおって映し出される物語のことを指すんだよ、と信じる。

  

160523修正

善性の光という言葉を剥き出しの光という言葉に修正しました。そちらの方がしっくりきます