怒り(李相日/日本/2016) ここちよい憤怒の手触り

20161011 横浜ブルクにて鑑賞。

公式サイトはこちら

www.ikari-movie.com

今度こそ観てすぐに感想を書くと誓ったわけだったが…。李相日監督作品を観たことがなかったので、怒りを見た後に『悪人』を観ました。そのため感想が遅くなった(言い訳)。先に書くとあまり褒めていませんので、この映画最高だったと思った方は読まない方がいいかもしれない。

 

怒りは3つの物語が同時に進行して、そのひとつひとつが一つの事件とテーマで少しずつつながっている構造になっています。初見で、かなりアレハンドロ・イニャリトゥの『バベル』に既視感があった。すごく似てるよね。ただ映像の説得力としてもロドリゴ・プリエトと組んでた時のイニャリトゥと比べるとう~んという印象だった。優馬(妻夫木聡)パートのパーティとかさ、あんなのチエコがクラブに遊びに行った時の超すごいシーンを否が応にでも思い出してしまうではないか(あそこはプリエトじゃなくてイガラシさんなんだろうか。Babel - Chieko Nightclub Sceneで検索してみてね)。そりゃ比べちゃうと説得力ない。そしてプロットにもかなり致命的な欠陥があるように思います。

もう一つ、去年私の洋邦あわせてのベストだった橋口亮輔監督の『恋人たち』も似ている構造なんですよね。構造だけじゃなく、偏見と無理解の暴力に喘ぐ人々の物語という点では『恋人たち』はほぼテーマも同じなんじゃないかと思います。で、こっちと比べちゃうとまた脚本と演出の面でかなり物足りない。ちょっと意地悪な言い方だなと我ながら思うんですけど、ちょっと類似で上位互換できるものがたまたま身近にありすぎて、これはどうかしらんという感想にならざるをえなかった。

 

原作付きの作品なので、もしかしたら原作からあるプロットに問題があるのかもしれないと思い、『悪人』も観たんですけど、多分わたし李相日監督とあまり相性が良くない。(※追記:悪人も原作者一緒だからなんの論理の補強にもならなかったですね)

苦手だなと思う理由としてはいくつかあるんですが、端的にいうと、扱っているテーマに対してキャラクタと物語の練度が低すぎる気がして、それ故に浮ついているというか、苦悩の手乗り感というか、重心が高いなという後味の悪さが残っちゃうんですよね。それは悪人よりも怒りの方が顕著です。

その原因を具体的考えてみたんだけど、李相日監督作品に登場するキャラクタ造形は物語ありき、結論のためにあるような白々しさがある。感情をことさら説明するような台詞とか、視線、仕草、身体の動かし方の紋切り型な演出などがすごく気になる。

別にそういう演出方法ならそれでも全然いいんですけど、一方で、監督が撮りたいのは生きてる人間の手触り、生活感、人の取り繕っていないむき出しの感情なんだろうなあと思わせるところがある。で、多分結構役者にそういう演技をするように求めてるんだろうな。今回、綾野剛くんと妻夫木くんが同棲生活したってコメントもみましたが。

でも役者たちの生々しさ、劇画のゆらぎみたいな演技に対して、紋切り型の脚本と演出がすごくギャップがあって、それが映画にちぐはぐな印象をもたせているように思う。ただ、これはそういうのが好きと言われたらそうですかというしかないです。私にはレギュレーションの不一致と感じられるけど、好きな人にとってはそうではないかもしれない。以前感想に書いた『君の名は。』の人物と背景の話と同じ話になります。

あと単純に思わせぶりな役者の顔面のアップとかがあまり好きではないです。

 

怒りの話に戻ります。で、一番この映画で問題なのはプロットの欠陥で、物語の進行上3つの話を貫いている事件をめぐる『怒り』というキーワードが、テーマ的に3つの話を貫いている『人がいつまでも確かな信頼を築くことができずに失敗を繰り返し、理不尽な偏見・軋轢・無理解の小さな暴力が巡り巡って弱いものを殺す』という概念と全然上手に結びついていないという点です。もしかしたら原作からある欠点かもしれないので、そうだったらすみません(原作未読)。これは結構致命的で、森山未來の演技は良いと思うんですけど、ちょっと田中信吾(森山未來)のキャラクタ設定は雑が過ぎたんじゃないかと思うし、あのキャラクタの描写では、彼の持っていた「怒り」が、社会が形成される限りどうしようもできない小さな悪意の蓄積の雪崩によって爆発したという風には到底思えなかった。人が人を信じるには弱すぎるという話と、人が普遍的に善も悪も持ち合わせていて、偶然みたいな風向きでどちらの目が出るかわからないという話と、『弱いものが夕暮れ、さらに弱いものをたたく』という話と、個人では抗いがたい社会的な差別構造への反発から生まれる怒りって話がごちゃごちゃになっていてすごくわかりにくい。3つの物語を貫く「怒り」のスタンスが丁寧に描写されないままなので、結局ほかの2本の物語とまとめきれずに「誰に何が起こったんだっけ?そしてこの3つ今おんなじ話してる??」というとっちらかりのすっきりしなさが残ったのでした。もちろんわかりやすければいいわけじゃないけれど、複雑であることと混乱していることは別だと思います。

 

そして、私が最も納得いかなかったのは、沖縄問題とレイプ事件というかなりデリケートかつ深刻な「怒り」を取り上げておきながら、地域も歴史も社会も生活も考慮しないままに、「信じてたのにひどい奴だった」みたいな個人の突発的な怒りに物語の結論が収束され、あまつさえ被害者本人は途中でドロップアウトして、結末を女優の思わせぶりな横顔と海への叫びに託すというお茶の濁し方で締めたぶん投げぶりには、正直少々腹が立った。それ、そういう締め方するなら舞台が沖縄である必然性あった??東京で日本人にレイプされたって一緒じゃないか??あれじゃ物語の深刻さを味付けするために沖縄問題取り上げたと言われても仕方がないっすよ。そしてそのぶん投げが足を引っ張って、他の2本のストーリーの深刻さもなんだかふわふわと軽率に見えてしまったのだった。一番よかったのは謙さんの物語だったかな…。

 

あんまりよくない感想について長く書くのも心が重いもので…この辺にしておきます。役者陣の演技はどのパートも素晴らしかったように思う。宮崎あおいの泣き声と高畑充希の穏やかなとまどいと諦観が鮮やかに残った。